「カントリー・ロード」がいい
近藤喜文監督の映画『耳をすませば』(1995年)を久しぶりに観ました。最初に観たのは公開された1995年で、もちろん映画館でした。それから何度もテレビ放映され、ときどき観ていました。私自身がこれまでに何度観たかはもう思い出せません。
本作の魅力はなんといっても劇中で歌われる「カントリー・ロード」で、街の片隅にある「地球屋」の一室で偶然に行われた演奏会というシチュエーションと相俟って、観ると今でも胸を打たれます。元はアメリカの歌ですが、鈴木敏夫の娘と宮崎駿が日本語の詞をつけたらしく、私はこの詞も好きです。
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やはり「名作」
どうでもいいことですが…私は長く、本作が「名作」と言えるかどうかなかなか判断できませんでした。
勉強と恋愛、そして自己の確立という青春物語にありがちな主題を扱い、猫に導かれて街の片隅の不思議な店に辿り着くというファンタジー風のストーリー展開。主人公はある程度、悩みはするものの乗り越えて、恋愛も成就したかに見えるハッピーエンドを迎える。
はいはい良かったね、ごちそうさま。と言いたくなるような甘いシナリオで、毒気もありません。そういう意味では面白味に欠けるはずなのですが、なぜか引き込まれます。シナリオは映画の背骨のようなもので、これが魅力に欠けると映画自体がつまらないものになるはずなのですが、本作はなぜか、引き込まれるのです。
思うに、本作は風景の描写力が優れていて、それが高い臨場感を生み出しているがゆえに引き込まれるのではないかと思います。多摩ニュータウンの日常風景を精細に描き、人物の動きを丁寧に辿っていくことで、田園地帯と住宅地と市街地を含む街の構造が俯瞰的に捉えられる。主人公の雫が偶然「地球屋」に辿り着くまでの描写は、「日常から非日常へ入り込んでいく」様子を、かなりリアルに捉えていると思います。
この高い描写力は、猫の人形や仕掛け時計や鉱石、主人公が書く空想小説の世界を表現することにも発揮されています。恐らくこれが、いつ観ても引き込まれる本作の魅力なのではないでしょうか。
なんだか褒め過ぎですが…シナリオは子供向けの甘い内容であるものの、やはり映画全体としては古びない力を持った「名作」なんじゃないかと思います。