杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「誰も傷つけない」

あるお笑い芸人に関する記事で、「誰も傷つけない笑い」というフレーズが出ていた。
実際にその芸人がどういう種類の笑いなのかは別として、この「誰も傷つけない笑い」というのが果たしてあり得るのかなと思い、あれこれ考えた。

「笑い」は、その本質がそもそも暴力的なものを含んでいると、本で読んだことがある。また笑いではないが、全ての文章は必ず誰かを傷つけてしまう、というのを読んだことがある。例えば、子供が生まれてうれしい!という文章は、子供を生むことができない人を傷つけるだろう、といったことである。

ライターとしてお付き合いしたお客さんから、「誰も傷つけない文章」を書いてほしいと依頼されたことがある。私はそれを聞いた時、そんな文章はこの世に存在しませんよ、と言おうとしたものの黙っていたが、これはつまり、批判や否定につながる表現は避けてくれ、といった意味だったのだろう。

こういう問題は厳密に検討し始めると難しくなるので深く考えないが、「誰も」などという極端なことは、よほどちゃんとした根拠がない限り言わない方が賢い、というのが私の考えだ。