杉本純のブログ

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「当たるも八卦当たらぬも八卦」

最近そんな言葉に接して、ほぉ面白いなぁと感じた。

八卦」という言葉は昔も聞いたことがあったが、占いなどに関する言葉ということ以外、特に何の認識も持っていなかった。が、最近は「ONE PIECE」のカイドウの「雷鳴八卦」が記憶に新しいので、「ONE PIECE」を読んでいない人からその言葉を聞いて、ほぉ面白いと思ったのだ。

さて「当たるも八卦当たらぬも八卦」は、占いは当たる時もあれば外れる時もあるので、あまり気にしないでおくのが良い、といった意味で一般には伝わっているらしい。しかしあるネット記事では、「八卦」は森羅万象を正しく体系化したもので、「外れる」ということはない、占いが当たらないのは占い師が「八卦」を正しく理解できていないからだ、つまり占いの正否は「八卦」を使う人次第なのだ、と書かれていた。他の説を唱えている人もいる。

私は占いを真面目に信じてはいないが、大昔から信じている人がたくさんいて、その商売がずーっと続いているということは、何らかの成果を出し続けているということだろう。もっとも占い師は預言者ではなく、運命をそのまま言い当てることはできないと思う。言われた側は、これこれこういうことが起きる気配が強く出ているので、日常生活ではこういうことを心掛けると良い、といった助言として受け止めるのが望ましいように思う。もし助言に反する行動を取る場合でも、助言されたことは無視せず勘案し、プラマイゼロになるよう別のところで配慮しておくのがベター、といったことではないかな。また、今年は大人しくしていたら恋人に出会えるよ、と言われてその通りにしていたつもりなのに出会えなかったら、それはそれとして、何か別のところで大人しくしなかったら出会えなかったのかも、などと生活の反省材料にする、とか。

つまり、占いにすがってしまってはダメで、あくまでより良い生活を送るためのアドバイス程度のものということ。やはり大事なのは自力本願で、あとは「人事を尽くして天命を待つ」「神は天に在り、この世はすべてよし」で良いのだと思う。全力を尽くして報われないこともあるが、それが「人生の味」でもある。