杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

ご指摘は、基本的にはありがたいのだ。

11月1日の記事「佐伯一麦『懐かしい現実の手応え』」の解釈について、ある方からTwitterでコメントをいただいた。率直に言って、その方の解釈は的を射ていると思えた。私は、さらっと読んだだけで理解が浅かったなぁと反省した。その方には、感謝している。

これまでもこのブログについて、間違いの指摘や私とは違う見方の提示をしてくる人がいたが、基本的にはありがたいのである。中には批判やお説教や頼んでもいない助言をしてくる匿名の人がいて、そういう人には、まずは名乗れと返したことがある。善意の指摘であれば匿名でも気にならないが、批判説教の類いは匿名・変名だと腹が立つ(ちょっと調べて名前が分かる人はいい)。あるいは、名を明かしてくれていても、私が嫌いな価値観や人を擁護するようなことを言われると、たとえ善意であっても不快だし、関わりたくないと思う。

さて、「懐かしい現実の手応え」の解釈は、「なつかしすぎる」という言葉が、「~過ぎる」という、一般には思わしくないことに対し使う表現であるのが、私の勘違いの原因だったのだと思った。