杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「覆面をしたデモ」

デモをしたい、でもちゃんと就職したい

曽野綾子『「いい人」をやめると楽になる』(祥伝社黄金文庫、2002年)の「匿名は逃げの意思表示である」で、曽野は、匿名で批評したり覆面でデモをしたりするのは自分の言行の結果を引き受けない、無責任の逃げの意思表示だとして批判しています。その通りだと思います。

特に共感した、というか読んで深く考えた箇所がありました。ちょっと長いですが、引用します。

 私が今でもわからないのは、覆面をしたデモである。
 いいことをするのに、なぜ顔を隠すのだろう。明るくニコニコして、マスコミにも公然と名を名乗り、何度捕まっても自分の信念を述べ続ける戦術にどうして出ないのだろう。そうすれば、その人は、自分の信念を広く世間に示すことができる。マスコミにも人気が出るに違いない。自分の将来も仕事も投げうって、信念のために国家権力に嚙みつき続けるということが、人の心を動かさないはずはないのである。
 なぜ顔を隠すのかというと、デモにも加わりながら、大学も無事に卒業し、できれば有名な大手の会社に就職して、出世もしたい。あるいは今の職場に、デモに行っているという行為を知られたくない、という不純な意図があるからだろう、としか思えないのである。

まったくその通りだと思いますが、特に後半の、デモには行くがちゃんと就職もしたいデモ学生を批判するあたり、私としてはどこか、学生運動でめちゃくちゃに暴れていたのにその後はゲバ棒を捨てて大人しく就職した、今は高齢者になっているいくたりかが思い浮かびます。

俺たちは闘ったんだとか、今の若い奴らは駄目だとか言い、政治がいかんだの大企業は悪いことをしているだのと威勢よく話しますが、その思想とやらをまとめた著作はなく、ただ安全地帯から好き勝手しゃべっているだけ。

自分の考えが正しく、立派であれば、胸を張り、堂々と自説を展開してみればいい。そこには必ず障害もあるだろうから、自分の安全が大事なら沈黙すればいい。けれどもそれをしない。政治的な領域で先鋭的なことを言いつつ、安全は脅かされたくないということです。卑怯ですね。