「私小説の変化球」
西村賢太が死んだ後、朝日新聞(3月12日)朝刊に真梨幸子が「西村賢太の私小説」を寄稿しました。
その中に、『瓦礫の死角』(講談社)所収の短篇「崩折れるにはまだ早い」について、西村はミステリーに造詣が深く、いつかはミステリーに挑戦しようとしていたのではないかと書き、本作を
私小説なのだが、明らかにミステリーの手法が取り入れられている。事実、私は「あ!」と叫んでしまうほど、騙された。
と評価していました。
これを読み、面白そうだと思ったので、さっそく読んでみました。
初出は「群像」2018年7月号で、その時は「乃東枯(なつかれくさかるる)」というタイトルで発表されました。旧暦の二十四節気、七十二候を題材に掌編を書く連続企画に応じた一篇で、「乃東枯」は編集部の方で用意したタイトルだったと「あとがき」に書かれています。
本作は西村自身が「珍しく、気に入っている内容」であるらしく、「久しぶりにオチを用意しての“私小説の変化球”を意図した」とのことです。
藤澤清造を描いた架空の小説
一読したところ、これは藤澤清造を視点人物とした、とはいえ内容からして小説というよりは随想のような書き方の、実に不思議な作品でした。これを西村も真梨も、「変化球」はともかく「私小説」としているのが、ちょっと理解できなかった。。これが「私小説」である根拠が分かる人がいたら、教えてもらえるとうれしいです。強いて言うなら、藤澤を主人公とした架空の小説を「私小説風の筆致で書いた」とするのが正確なところかと思います。
ところで、真梨が「ミステリーの手法」と書いたのは、西村が「オチ」と書いたところにつながるのでしょう。たしかに、「下疳」は微妙でしたが、湯屋の煙突から「煤煙」が昇っている、などとあった辺り、どうも現代ではなさそうだぞ、と疑い始め、女中が出てきて今風とは言えない台詞が出てくるところで疑いが深まり、最後に主人公が藤澤だったことが分かる、という「オチ」がついています。
てっきり私は何らかの「謎」が提示され、それを解明する行動が描かれているのかと思いましたが、そうではありませんでした。とはいえ、私には久しぶりの西村作品で、濃い味の健太節?を味わわせてもらいました。
ちなみに「群像」では2013年に「12星座小説集」を企画しており、蟹座の佐伯一麦が短篇「二十六夜待ち」を発表していました。