杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

人間と神の関係

本多信一さんの本で紹介されていたことから曽野綾子の『心に迫るパウロの言葉』(新潮文庫、1989年)を読み、さらにキリスト教に興味が出てきたので、曽野『[図解]いま聖書を学ぶ』(ワック、2011年)を読んでいる。

私は無宗教者だし、いわんやキリスト教徒でもないが、食わず嫌い?なところがあったのは事実で、キリスト教の知識を教養として身につけたいと思う。それで曽野の本を読んでいる。

印象に残った箇所がいくつかあったが、中でも「山上の説教6 施しをするときには」には大いに共感するところがあった。

「神は隠れたところを見ている」という小見出しがついていて、困った人への「施し」は、日本では否定的な人が多いが外国では美しいことだとされているとある。そして、だが人の前で施しをするのは偽善だとイエスは言った、と曽野は言う。エルビス・プレスリーの「神のみに知られた」の詞を引用したうえで、次のように書く。

神と人間は他人の介入できない形でよく知られている秘密な関係です。私は秘密な関係というのが、ちょっと好きでもあるのです。

その通りだと思う。「神」というものがもしいるとしたら、それはそれぞれの人の心の中にいて、他人は決して介入できない、とかねて考えていた。

自分の心は他の誰も見ることができないが、自分は見ている。良心も悪心も、自分はその働きを自覚することができ、他人は難しい。「神」は良心に従った行動を勧めるのだとしたら、「神」は自分の良心そのものかも知れない。

そんなことを書くこと自体が「神」の存在を認めている証拠であるかも知れず、とすると私は無神論者ではなくなるわけだが、良心は存在していて、それをある人々が「神」と呼んでいる、ということじゃないかと思っている。