杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

バスタゼイン

曽野綾子『心に迫るパウロの言葉』(新潮文庫、1989年)を、読みたいところだけを開いて読んでいます。

本は複数の章に分けられていますが、その一つ「神さま、けちけちしないで」は、「気前よくたくさん蒔く者は、たくさん刈り入れる」というサブタイトルが付いています。

これは福祉とか、あるいは寄附の精神について述べるものかな、と思いましたが、果せるかなそういった内容のようでした。

「わたしたち強い者は、強くない人たちの弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」とパウロは「ローマ人への手紙15・1」で言ったそうで、この「担う=バスタゼイン」は「耐え忍ぶ」という意味を持つらしいです。

 パウロによれば私たちが千円、一万円のお金を難民の援助に使うことは、実は決して弱い者の苦しみを「担って」いることではないのである。
 誰が他人のために自分が「耐え忍ぶ」と言っていいほどの犠牲を払っているだろうか。

とあります。募金活動に対しちょっとのお金を出すくらいでは「耐え忍ぶ」には当たらない、ということでしょう。

後半では、

惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、わずかしか刈り入れず、気前よくたくさん蒔く者は、たくさん刈り入れるのです。

というパウロの「コリント人への第二の手紙9・6~8」の言葉を引いています。つまり寄附や施しというのは見返りを求めるべきではないし、出し惜しみをするものでもない、ということかと思います。その通りだと思います。

企業や実業家が儲けた金の一部を社会貢献につながる寄附に気前よく差し出す、といった行為が当てはまりそうですが、そういうのは「耐え忍ぶ」まではいかないと思います。東日本大震災の時に数億、数十億というお金を出した人がいたと記憶しますが、その人だってその額を出しても生活が困るほどにはならなかったわけでしょう。難しい。