北村薫『空飛ぶ馬』(創元推理文庫、1994年)の「砂糖合戦」の冒頭に、こんな文章がある。
渋谷に出て来たのは、ゴーガンの映画をやっているとかいう話を前に友達から聞き、それを昨日の夜、突然思い出したからだ。もう終わったのかどうか、本当に渋谷だったのかも、判然としない。待てしばし、のないのが私の性格だから、とにかく行ってみよう、駄目だったら駄目でいいや、となった。
主人公の女子大生が渋谷にやってきた経緯を、その性格とともに述べているだけの何ということのない文章だが、私はこの主人公に大いに共感したのである。
私も、目的に対し確証がないまま繁華街などに出掛けたことがよくある。それで空振りしたことは一度や二度ではないが、それでも主人公と同じように、駄目だったらそれまでのことで気ままにほっつき歩けばいいや、という心づもりなのでダメージはないのである。
あてどなく、何の考えもないまま徘徊するのも休みの日などによくある。時間を無駄にしているという感覚に対する焦りや苛立ちがないではないが、体があまり言うことを聞かず、目に映ったものに誘われるままふらふら歩き回ってしまうのだ。
主人公は文学少女…というにとどまらぬかなりの読書家、演藝なども好きで文化藝術全般に興味のある人だが、そのことと、こういうふわふわした性格には、通底するものがある気がする。駄目なら駄目でいい、と考えられる性格って、いいなと思う。