杉本純のブログ

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中上健次「十九歳の地図」

主人公は新聞配達少年

中上健次の短篇「十九歳の地図」(『十九歳の地図』(河出文庫、1981年)所収)を読みました。

松本健一による巻末の「著者ノートにかえて 同時代の爆弾」には、本作の初出は「文藝」1973年6月号と書いてあります。

自分を「唯一者」と思っている主人公は、新聞配達をしている19歳の予備校生で、鬱屈した生活を送っている。新聞配達には地図を用いるが、恨みなどの思いを抱いているいくつかの配達先に「×」をつけている。鬱屈を晴らすかのように、他人に電話をかけて爆破予告をしたり、自分は右翼だと言ったりするものの、何ら実際の行動には移さず、鬱屈した毎日は変わらないまま、小説は終わります。

佐伯一麦に「朝の一日」という短篇がありますが、これも新聞配達少年を主人公としたものです。佐伯は「朝の一日」を書いた後、中上の「十九歳の地図」を読み、同じ題材のものがすでに書かれていたことに失望。しかし、その後「新潮」1986年12月号で発表する機会を得ます。

私が今回「十九歳の地図」を手に取ったのは、そうした経緯から本作に興味を抱いたからです。ちなみに「十九歳の地図」初出の1973年6月は、佐伯がもう少しで14歳になる頃です。

行動のない小説

さて本作。短篇集である文庫の表題作で映画化もされていますが、私は面白いとは思わなかった。惨めな境遇の中で自意識が肥大し、犯罪への憧憬めいた思いを抱くものの、実行に及ぶことはありません。「行動」がない小説は、私はまず評価しないですね。

松本は本作が出た2年後、反日アジア武装戦線による「連続企業爆破事件」が起きた時、これは「十九歳の地図」の作者が起こしたものだ、と瞬間的に思ったらしい。また松本は、連続企業爆破事件に共感に近い感情を抱き、中上もきっと同じで、「同時代性というものであろう」と述べています。

私は「失われた10年(20年や30年ともいう)」に少年期と青年期が該当していて、同年代の人の中には凶悪事件を起こした犯人がいます。中上の時代や連続企業爆破事件の犯人のことはよく知りませんが、世を恨み、犯罪に走るという点では、時代を異にする犯罪者たちには共通点を見出せるかもしれません。

しかし私自身は、ワナビをこじらせたものの凶悪事件を起こそうとする心理状態になったことはなく、そういう人たちとの「同時代性」はあるのかもしれませんが、共感は抱きません。まあ「十九歳の地図」の主人公は犯罪を実行してすらいないのですが、私はそういう幻想を抱くこともなかったと思うし、だからこそ逆に、この主人公は考えてるだけで行動に移さない駄目な奴だな、とも思えてしまいます。