杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

勉強、練習、試合。

恥ずかしながら、大人になってから気づいた。自分を磨く、人生を進展させる、といったことをするのに何が必要かというと、勉強、練習、試合の三つにだいたい集約されるのではないかということだ。

勉強が不可欠だということは、前から分かっていた。その次に、やはり練習も欠かせないことが分かった。勉強というのは単に頭に知識を入れることで、これをやらないことには何も始まらない。次に、知ったことを試してみる。使ってみる、ということで、これが練習である。知識を練習を通して使ってみることで、頭だけでなく体が覚えてくれるようになるはずだ。

その次に試合なのだが、人によっては、練習と試合がセットになる人もいるだろう。この試合というのは実戦のことで、勉強や単なる練習と違い、明確な結果が出る。その結果から、次に勉強し練習するべきことが出てくる。それをやる。また試合をする。その繰り返しが、成長や前進といった成果になって現れてくるのだろう。そんな風に思う。

これは恐らく、どの分野の仕事にも共通するはずである。例えば、小説を読んだり勉強したりすることを続け、次に実際に習作を書いてみる、あるいは本当の作品を書いてみる、そして文学賞に応募してみる、といった具合である。営業トークの本を読む、身の回りの友人知人で試してみる、本当のお客さんに使って提案してみる、と。スポーツだって料理だって楽器だって、教科書を読んだり先生に教わったりして知って、自分でやってみて、そして実戦をやって、結果が出てくるのである。

この繰り返しは要するに、中学校でやっていた部活と同じではないだろうか。私は体育会系の雰囲気や根性論が苦手だったが、勉強と練習と試合の繰り返しがないと成長などできない、ということはほぼ確信するまでになった。体育会系が苦手なのは、慕ってもいない乱暴な先生や先輩の納得できない命令にいちいち従わなくてはならないからだろう。あれは今でも嫌である。