杉本純のブログ

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佐伯一麦と時計草

日経新聞9月13日28面の文化欄に、佐伯一麦の随筆「時計草に思う」が載っている。時計草にまつわるさまざまな思い出を語ったもので、佐伯らしい随筆と言える。

佐伯は花鳥風月に対する感性が鋭敏で、時計草について書いたのはこれが初めてではない。この随筆では、時計草のことを知ったのは1998年の夏と書いてある。その翌年の1999年2月9日、山形新聞夕刊の佐伯の連載「峠のたより」に、「時計草」という随筆を寄せている。

時計草は英名を「パッションフラワー」といい、「受難の花」という意味がある。今回の随筆は「現在の状況下で、時間に変容をもたらした、災厄という受難にも想念が及ぶようだ」と締めくくっているのだが、この「時間に変容をもたらした、災厄という受難」は何だろう。コロナ禍のことかと思うが、他のことを指しているのかも知れない。いっぽう山形新聞の「時計草」では、同じように「受難の花」の意味について述べつつ、二十年ほど前、地元のある橋の上から川に投げ込まれたものの命が助かった幼児の、その受難の後の人生の行方が気にかかる、と締めくくっている。