杉本純のブログ

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佐伯一麦と黒井千次

佐伯一麦『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「鳴らない時計が打つ刻」は、黒井千次との思い出を語っている。佐伯は1992年11月に日中文化交流協会の訪中作家代表団の一員として初めて中国を訪ね、各地を旅行したが、その団長が黒井千次だった。それで佐伯は黒井を「ダンチョウさん」と呼ぶようになり、2006年に黒井が『一日 夢の柵』で野間文芸賞を受賞したパーティーで「ダンチョウさん、おめでとうございます」と挨拶したのだそうな。

黒井はサラリーマン生活の傍ら小説執筆をしていた経験があり、辞めてからは専業作家になる。「鳴らない時計が打つ刻」には、

「聖産業週間」「時間」といった作品で、企業の中で没個性的に生きることを余儀なくされている現代の労働者が、いかに人間らしく生きるかを、ときには寓話的に、ときにはリアリズムの手法で模索した。会社を辞めて専業作家になった黒井氏は、やがて、都市生活者たちの家族をテーマとするようになり、一九八四年に刊行された『群棲』に集大成される。

とある。「聖産業週間」は、リアリズムのようだが人物といいストーリーといいちょっとあり得ないし、完全に寓話的でもない気がする。リアリズムと寓話の半々といったところではないか。

『群棲』が出た1984年は佐伯がデビューした年でもある。佐伯は「自分がデビューする寸前に発表されたそれらの作品を仔細に読むことで、私は、読み手から書き手へと移行したといえるかもしれない」と書いている。「木を接ぐ」は、私小説だが都市生活者の姿を描いた小説と言える。『群棲』がどう影響したかは興味深いところだ。