杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

肉体労働と藝術

以前ある先輩から酒の席で、お前もいっちょ土方でもやってみて世間の厳しさを経験しろや、みたいに言われたことがある。サシで飲んでいたのだが、まあ一種のマウンティングだった。その先輩は長いことフリーのライターをやっていて、お金がない時は建設現場でも働いたことがあったらしい。私が、薄給だが会社に勤めていて定収入があったものだから、自力で生きることの大変さを分からせたかったのかも知れない。が、実際のところ私は給料とはいえその先輩よりも収入は少なく、建設現場で働いたこともあったものだから、経験したことありますよ、と言ったら驚いていた。

その先輩は映画学校の先輩なのだが、土方うんぬんと言ったのは、ぶっきらぼうな人たちに囲まれて藝術家気取りや自尊心を踏み潰されろ、というような意味もあったと思う。またそれは、過酷な肉体労働の世界に行ってみないとお前が描こうとしている人間のことは分からないぞ、というお説教でもあったように思う。私は実際に藝術家気取りや自尊心があったので、そう言いたかった気持ちは分かるし、色んな世界を見てみないことには人間のことは見えてこない、というのもその通りだと思う(色んな世界を見れば人間のことが必ず分かるわけではない)。

また一方で、藝術を志す者同士である以上、土方の世界を経験することの先には、そうした体験を元に作品を書く、という道が存在することが暗黙の了解としてあったはずだ。志があってこそ、経験が表現に生かされるのである。佐伯一麦が若い頃、何をしても食っていけると人はよく言うけどそれは嘘で、作家の目を持っているから身を窶していられる、と語っていた。まさにそうだと思う。