杉本純のブログ

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おくのほそ道主義

ある人が、皆、毎日の仕事を何気なく流れでやっているかも知れないが、実は奥が深いものなんだぞ、などと述べていた。それを聞いて私は、ああ出たな「おくのほそ道主義」と思った。

物事は何でも、突き詰めればいくらでも深く掘り下げることができる。仕事も同じで、小さな仕事でも極めようと思えばいくらでも細かく、難しくなる。皿洗い、トイレ掃除、新聞配達…これらは一見すると人間性や創意工夫を入れる余地がない仕事かも知れないが、究極的には創意工夫でき、藝術的な仕上がりにすることは可能だろう。

皿洗いやトイレ掃除にそういう「おくのほそ道」を見出し、勝手にやる分には問題ない。おくのほそ道というのはそういう世界であり、勝手にやるんだから孤独なのである。しかし、皿洗いを極めろ、とか、トイレ掃除を藝術的にやれ、とか他人に言うのは言われる側としては迷惑な話でしかない。冒頭に紹介したある人の言葉にはまさにそういう響きがあったのだが、私は共感できなかった。ミスを防げ、とか、丁寧にやれ、とか言うならまだ分かる。しかし、いくら「奥が深い」と言われたってその仕事にそれほどの興味がなければ関係なく、極めるほどの興味を持たなければならないわけではない。

クリエイティブの世界に身を置いていると、この種のおくのほそ道主義的発言がたまに耳に入ってくる。そういう発言をする人にとってはどんな単調な退屈な仕事でもクリエイティブな作業なのであり、そればかりか、その業務に携わる人はそこにクリエイティビティを盛り込まなくてはならないようなのだ。私はそういう言説が苦手である。