杉本純のブログ

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困った大人

罪と罰』のラスコーリニコフじゃないが、自分は正しい人間で、世の中の方が間違っているのだから自分は(世間的には)悪いことをやっても良い、と考えている大人がたまにいる。考えているだけじゃなく、実際に悪いことをして問題になっているのだが、不平を言い、なおかつ持論を曲げずに偉そうな顔をしている。

「悪法もまた法なり」が示すように、たとえ良くない決まりごとであっても決まりごとである以上、破れば相応の罰が課せられるのは言うまでもない。悪法だと思い、それに従うことはないと本気で思うなら、その法を正す方向に行動するべきである。法律でなくとも、例えば会社や学校の規則が間違っていると考えるなら、ちゃんと会社や学校に意見を言って変わるよう行動するべきだろう。

しかし私の経験から言うと、そういう人はたいてい、知人や家族に対し持論を展開し、自分がいかに正しいかを主張する。それでいて、上述の通りの取るべき行動は取らず、違反ばかりしている。そして私をはじめ、ちゃんと規則を守っている人間に対し、お前は権力に弱い、反骨精神がない小っちぇえ奴だ、といったことを述べる(実際にそういう言葉を使うのではなくそういう意味のことを言う)。

まぁとにかくアホらしくて相手にしたくないからたいていはスルーする。ときどき反論して気づかせようとするのだが、まず気づくことはない。仕方がない。物事の道理が分からない人はずっと暗闇の人生を歩くしかない。「縁なき衆生は度し難し」である。困るのは、そういう大人の保護下にある子供が同じように育ってしまう恐れがあることだ。