杉本純のブログ

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話の通じない相手

どんな相手とも話せば分かる、という言葉は何度か聞いたことがあるが、どれだけ頑張って話しても通じない相手がいる、というのは実体験としてある。

上っ面のやりとりなら問題なく通じる。組織の中の人間関係などはその最たるもので、組織を貫く価値観とか力関係がベースになっているから、それに沿って物事を考え、話し合えばたいていの問題は答えが出る。やっかいなのはプライベートの、そういうベースがない領域での人間関係だ。

振り返ってみると、一時期は価値観が近く、仲良くして藝術や人生についてもよく語り合った相手が、最後は意見を違えて絶縁状態になってしまったことは、一度や二度ではない。そうなる前に口頭や文章を通してこれ以上ないくらい丁寧に自分の考えを説明しても、誤読や曲解、拡大解釈をされて通じないのである。きっと、私も相手の言葉を誤読したことがあっただろう。

そんなことが何度もあると、話せば分かる、などというのがけっこう難しい、ということが分かる。いやそもそも、話が通じる相手というのは極めて少ないのではないかと感じる。年齢を重ねれば重ねるほど、分かり合える人間なんて両手の指を折って数えられるくらいしかいないのが分かってくる。

だいたい、「話」などを通して意思を伝えようとするのがそもそも難しいのだ、という気がしている。自分の意思を相手にちゃんと伝えたいなら、会話よりも行動の方がはるかに早いと思う。