杉本純のブログ

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文学と文学同人誌

私は一時期、文学同人誌に参加していたことがある。同人誌活動の一環で、所属する同人誌以外の同人誌の人にもたくさん会った。そんな数多くのいわゆる「同人」の中に、同人誌活動の理想や規則を厳格に貫こうとする人がいた。同人に対し、組織の一員としての意識と行動を強く求めていたし、同人誌に属して作品を書くことで自己を変革できる、などと言い、自分と反りが合わず辞めてしまった人については「自分を変革することを諦めたのだ」などと言っていた。

今思うと、「その人」は、ごく真面目な人だった。一方で自己陶酔家風のところもあり、同人誌活動=自己変革、という高尚な図式を信じ、その営みに従事する自分を偉大な人間だと思っている気配があった。

しかし、自己変革ということを私なりに考えてみると、それは同人誌活動をやるかどうかはそんなに重要ではなく、文学そのものに真摯に取り組むことでしか成し遂げられないだろうと思う。同人誌に参加してはいるものの、同人同士で酒を飲んだり、自作の低劣さは棚に上げて仲間の作品を偉そうに批評したりすることにばかりやりがいを見出しているらしい人は少なくない。同人誌に参加していること自体に意味と価値を感じているのであって、所詮は「その人」と同じような自己陶酔家なのだと思う。

人は徒党を組むと安心感を抱くもので、だから文学同人誌に所属すると「自分は文学をやっている」と安心できるのだろう。著名人のサロンなども似たようなものかな。また、人はそういう場所では党派心を出し、縄張り争いをしたりもするものだ。「その人」もまた、文学への意志よりも徒党を形成したい気持ちの強い人だったのだと思う。