杉本純のブログ

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北方謙三「襞」

北方謙三「襞」(『帰路』(講談社文庫、1991年)所収)は、浮気をした友人が、浮気相手の女が妊娠したと思い込み(実際は妊娠しておらず、生理を口実に友人を困らせていた)、その処理を主人公である作家の「私」に依頼してくる話である。友人の依頼内容というのが、その妻への憎しみを晴らすことも含んでいてややこしいのだが、「私」は作家らしい眼で冷静に事態の推移を眺めている。「私」はあくまで視点人物に過ぎず、真の主人公は友人と言うべきだが、ときどき作家として生きる悲哀めいたものが見え隠れする。

主な舞台は渋谷で、エンタメ作家の「私」が純文学を志していた頃から利用していた店で友人との会話が繰り広げられる。「私」はエンタメに転向してからも二年以上はその店に通い、打ち合わせと称して編集者と飲んでいた。「勘定も自分で持った」とある。編集者の中には「私」が飲み代を払うことに難色を示す人もいたようだ(中にはあっさり払わせてくれる人もいたが)。立松和平の解説では、本書はこの「襞」を含めて私小説である可能性が仄めかされているが、飲み代の支払い云々の部分が事実を元に書かれたものだとすると、編集者の中には自分が払って当然、と思っていた人がいたのだろう。

以前、八木義德についての講演を聞いた時、昔の作家は本を出すと編集者を家に招いて歓待したもので、八木も同じようにしたそうだが、今の作家はそういうことはやらない、と登壇者が話していたのを思い出した。

とまれ、「襞」を読んで、登場人物がわずかでも、その人物像と人間関係の設定がちゃんとされていれば味わいある短篇ができることを改めて感じた。