杉本純のブログ

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「この小説には血が流れていない」

「新潮」2021年7月号の平井一麥による寄稿「八木義德・野口冨士男 往復書簡集――純文学作家が書いた苦悩と手のうち」を読んだ。これは6月3日に田畑書店から刊行された『八木義德 野口冨士男 往復書簡集』についてその背景や刊行の経緯を述べたもので、面白い。本を欲しいと思ったが、値段を見て驚いた。。

八木と野口について述べているところ、佐伯一麦の名前も出てきて面白い。

多くの読者はいなくとも、二人には幸いなことに山田詠美さん、佐伯一麦さん、堀江敏幸さんというファンもいるのは心強い。

佐伯にとって八木は恩人で、野口に対しては、中上健次が書いた文章を通して知り、『かくてありけり』を読んで、徳田秋聲へと関心が広がっていった。二人の書簡集となれば、これは佐伯を追究する上でもけっこう重要な書物になるのじゃないか。

この寄稿には、八木から野口への書簡が一通、紹介されている。八木が、野口の「流星抄」の生原稿を読んだ感想を送っているのだが、その前に野口は八木に「この小説には血が流れていない」と伝えていたらしい。これに対し八木は「どうして血が流れなかったかは自分にとっても問題なのだ」と述べている。それは「作品全体から一つの「ポエジー」が浮き上ってこないということ」で、野口に対し「初心に立ち返って書き直してほしい」と言っている。

百田尚樹の『夢を売る男』には、主人公が、作家が自分の血で書いたような、真摯ですばらしい作品があることを述べている箇所がある。

それにしても、平井一麥は「かずみ」という名で、佐伯一麦と名前の読みが同じなのが、何となく二人の縁を感じさせる。