杉本純のブログ

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決めなくていい。2

 小説を書くための心理状態の管理をいうならば、長篇であればなおさらのこと、書きすすめてゆくその日の労働がカヴァーしうる部分より遠くを見てはならない。むしろ前方のことは放っておいて、その日の労働にのみ自分を集中させうるかどうかが、職業上の秘訣である。私が経験によってそれを知ったのは『万延元年のフットボール』を書く際のことだった。

と、大江健三郎『私という小説家の作り方』(新潮文庫、2001年)に書いてある。長篇小説を書く心理状態の管理として正しいかどうかは別として、生きていく上で、現在の自分の意志や行動ではどうにもなりそうもないくらい先の未来のことは、細かく計画しておく必要はない、と私は最近気がついた。

仕事を効率的かつ楽に進めるには、終わりを見通して、それに向かって計画を立てて最短距離で進むことである。ところが、とても終わりがリアルに見通せそうにない長期にわたる仕事の場合、いつまで経っても終わりがこないのでイライラさせられる。終わりが見えないこと自体が、とても苦しいのだ。だからこそ、そういう場合は無理に終わりを見ようとしなくていい。見通せるところまでしか見ず、見通せるところまでで計画を立てて、コツコツとやっていけばいいのだと思う。

「キャリアドリフト」という言葉がある。ビジネスパーソンのキャリアについての考え方の一つで、キャリアの大まかな方向性は定めておくものの、あえて細かい計画を立てて急いで行動したりしないことだ。この言葉は、上記と同じことではないだろうか。つまり、ちゃんと見通せるところまでは計画を立てて取り組むが、さらに先、どうなるか想像し切れないところは大まかな方向性のみ立てておくだけにして、あまり深く考えないことが大事、ということ。大江の言う通り、自分の現在の意志や行動がカヴァーできる部分より遠くを見てはならないのだ。

私がそのことに気づいたのは、自分の現在の状況から二つか三つくらいステージを上がった先で起きるであろう出来事について、無理に計画を立てようとして立てられず、一日中苦しい思いをしたからだ。そんなに先の未来のことなんて決めなくていい、無理に決めようとするからそれがストレスになり、今が苦しくなるのだ、と気づいた。

未来のことは必要以上に決めなくていい。大きな方向性をぼんやりとでも描いておけば、自然とそちらへ流れていくはずだから。