杉本純のブログ

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北方謙三の私小説

北方謙三『帰路』(講談社文庫、1991年)に収められている短篇「なずむ歳」は、ハードボイルド小説を書く作家の「私」が、煙草をもらった男や学生時代の先輩と会話をするだけの短篇なのだが、男が仕事をして生きることの悲哀のようなものが滲んでいて、北方先生らしい味わいがある。

本書の解説は立松和平が書いていて、小説の主人公が作家であるから、本書は(「なずむ歳」のみならず全作品が)どうしても私小説の体裁をとる、と述べている。作品に書かれていることがどこまで北方先生の体験なのかは分からない。しかし小説には「大学は駿河台だった」とあり、北方先生の出身である中央大学は1926年に駿河台校舎が完成し50年余り続いたそうなので、北方先生は1973年卒だから駿河台校舎に行っていたことになる。

「なずむ歳」は、上述の通りの内容で、ストーリー性などはほとんど見られず面白くもないのだが、作家として生きる辛さを緯糸として織り込む手際は、やはり巧いと感じる。