杉本純のブログ

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『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』を観た。

この映画は、ある人が昭和ノスタルジーを描いたある映画を批判する一方で、この『オトナ帝国の逆襲』はちゃんと風刺になっていた、と言い、またある経営者が、人生が好転する映画としていくつか紹介した中で1位に挙げていたので、観たいなぁと長いこと思っていた。それで、「クレヨンしんちゃん」を見たことがない私が、このたびの巣ごもり盆によってこの映画を観たというわけ。

ここでは映画の概要やストーリーの紹介は省くが、たしかにちゃんと風刺になっていて面白い。昭和ノスタルジーを感じさせるものが細かい部分に描き込まれていて、巧いと感じる。ある経営者は、ひろしの回想シーンですごく泣いたと言っていたが、私は泣くほどではなかったものの、たしかに親もかつては子供だったんだ、という気になった。

こういうよくできた映画は、現在に通じる色んなメッセージを投げ掛けるように思う。私の知る人の中には、「昔は良かった。今はダメ」式の無意味な発言をする人が少なからずいて、そういう人は映画の中の位置づけで言えば、「20世紀博」に取り込まれる人になると思う。私の体験から言うと、「昔は良かった。今はダメ」式発言をする人は若い頃に何をしていたかというと、たいていが学生運動とか、組織・集団内でのパワハラ行為である。自身が全盛だった頃も現在でもとにかく思考停止していて、問題を乗り越える方法は根性とか腕力の他には知らないようなのだ。

私には昭和ノスタルジーの人に対するそういう認識があって、その点からこの映画がとても面白かった(もちろん、昭和ノスタルジーというのは一つの呼称に過ぎず、昭和生まれ・育ちでなくとも過去の時代にノスタルジーを感じて今を生きられない人というのはいると思う)。

一つ、共感しにくかったところがあった。映画ではひろしとみさえが正気に戻り、敵の陰謀は打ち砕かれて、野原家は元通りになるのだが、私のように四十年以上も生きていると、家族すらも一つの幻想に過ぎないというのが身に染みて感じられるのである。が、それはこの映画が描くのとは別の問題だろう。