杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

バロメーターとしての映画

最近気がついたのだが(というか、前から感じてはいたが最近やっと確信した)、映画を観たいと思うかどうかが、私にとって一つのバロメーターになっているのである。何のバロメーターかというと、気持ちや体力に余裕があるかないかのバロメーターである。

映画は、以前の私にとってアイデンティティ確立の鍵だった。「映画青年」だった私は、映画という藝術を自分のものにできるかどうか、すなわち「映画人」になれるかどうかが、アイデンティティ確立の成否の分かれ目だった。その時代はいちおう過ぎ去り、今は古今東西の名作や、最近の話題作や気になった作品を観ることがライフワークの一つになっている。

以前ほどではないが、シナリオとかカメラとか音とか演技とか、いちおう色んなパートに目を光らせながら観る。で、多くの映画は二時間くらいあるから、一本の映画をきちんと観るのはわりと頭が疲れるのである。

だから、あの映画が観たいな、などと思うのは、一本の映画と二時間じっくり取り組める気持ちと体力の余裕がある証拠だと思う。以前の私はだいたい、いつどんな映画とも取り組めたものだが、こないだは心身ともひどく疲れていて、ダメだった。或る数学者を主人公にした映画を観ようとレンタルショップで二回借りたが、けっきょく観なかったのだ。近頃は息を吹き返しつつあり、再びあれやこれや観たいと思うようになった。