杉本純のブログ

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青春の意味

最近、ずっと取り組んできた小説をやっと最後の一行まで書き終えた。あとは少々推敲し、手直しすれば完成するところまできて喜んだのだが、あることに気づいて驚いた。

その小説のラストが、十年以上前に書いた別の小説のラストと酷似していたのである。別の小説は、実は今回書き終えた小説と、舞台である年代、主人公の境遇などが近いのだが、図らずもラストまでもがここまで似たようなものになるとは思わなかった。

両作とも、藝術を志し挫折した青年が主人公で、現実生活の中では働いてお金を稼ぐ行動がストーリーになっているわけだが、耐え難い現実とどう折り合いをつけるかが主題になっている。そして、主人公の親の存在とその関係が、主題を深める役割を果たしている。

これだけ共通項がある時点で、この二作のラストが似るのは当たり前だったのかも知れない。が、それでも驚いた。自分の小説は、十年以上前と現在とでぜんぜん変わっていなかったんだ、と気づかされた。

今回書き終えた作品は、とにかく俺はこれを書かねば前には進めん、といった「痛々しい」小説であり、言わば、書くことに私限りの意味があったものである。これを発表する意味もまたあるとは思っているが、まあ、四十を過ぎてよくここまで自分の青春にこだわったな、と自分でも思うほどだ。十年以上前に書いた小説も同じような青春漂流小説であり、よく十年以上も同一の主題にこだわり続けたもんだ、と思う。

とまれ、それらが結局同じような小説になったということは、つまり、青春について十年以上考え続けても新しい発見などなかったということだと思う。私は十年以上、自分の青春に何らかの意味を見出そうとしていたわけだが、結局、その問いに答えはなかった。つまり、青春に意味なんてなかった、ということかも知れない。