杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

週末学者、週末物書き。

荒木優太編著『在野研究ビギナーズ』(明石書店、2019年)を読み、ぐさぐさ突き刺さってくるものがあった。

本書は、現役で活躍中の15人の在野研究者が、自身がどのように研究生活を送っているかを述べたのを編んだもの。その序文において編著者の荒木は、在野研究とは大学に所属することなく学問研究すること、と述べているのだが、私も細々とだが現代の文学者を私的に研究しており、小説をはじめとした書き物もやっているので、「在野」という言葉には他人事ではないものを感じるのである。

中でも、会社員をやりながら批評理論、視覚文化論を駆使して「矢印」の研究をしている伊藤未明氏による「四〇歳から『週末学者』になる」は、その年齢がちょうど私自身の現在と重なるものだったので、興味深く読んだ。

伊藤氏は、大学卒業後の勤務先で体調を崩し、退職後、イギリスのノッティンガム大学で批評理論/カルチュラル・スタディーズ研究科」の修士課程に留学。修士号を取得して日本に帰った後は京都大学の「地球環境学」という博士課程に入学するが、39歳になり、最短でも5年かかる博士論文を書く道筋に人生や生活面での不安を抱く。イギリスから帰国した時は学者になるつもりだったが、外資系の市場調査会社で働くことにする。その後、「週末学者」として研究生活に勤しみ、論文を書いている。

「週末学者」になることに前向きになれた理由の一つは、英語にはindependent scholarという、大学に所属せず研究する人を意味する語があるのを知っていたことだという。

伊藤氏は会社員と在野研究者の二重生活を続けるために心掛けていることがある。人的なネットワークづくり、毎週一定の時間を研究にあてること、会社の仕事と研究を切り離して考えること、体力づくり、語学力のブラッシュアップ、である。

人的ネットワークは、モチベーションを維持するのに重要だということを伊藤氏は英留学中に実感したそうだが、これなどはぐさりと来たところだ。私はかつては同級生や文学同人の仲間と接していたが、色々な変転を経て今では書き物をしている人との接触はない。また同人をやろうとは今のところ思わないのだが、気楽に文学などについて語り合える人はいる方が良いかも知れないと思った。

また、伊藤氏は週8~10時間は研究したいと思っているそうだが、15年に及ぶ在野研究生活を振り返り、その目標は達成できなかったという。特に50歳を過ぎた辺りから体力的な面で難しさを感じてきただけでなく、月から金まで研究から離れていたお陰で中断された思考を土曜日に取り戻すのがしんどいのだそうだ。私はまだ四十だが同じようなことをすでに感じていて、ああ自分の知らないところで同じ悩みを抱えている人がいるんだな、と思った次第。

会社の仕事と研究を伊藤氏は切り離しているそうだが、私は「小説」の創作では会社勤めをしていて感じることを大いに盛り込んでいるので、その点は、小説を含む書き物をする「物書き」の方が研究者より幅の広さがあるのかもなぁと思った。

体力づくりについては言わずもがな、語学力は私は今のところ無縁か。

大学に勤める伊藤氏の友人は、大学にいるからといって研究する時間が豊富にあるかというとそうではなく、授業や学事の仕事に追われている、と言ったそうだ。物書きも、自著が売れなければ何か頼まれ仕事をして糊口をしのぐしかなく、フリーだろうが勤め人だろうが自分のやりたいことを続けるのは楽な道ではないのである。

資料の入手はそれなりにコストがかかるらしいが、私も、方々の図書館に出掛けたり、コピーしたりと何かと金がかかっている…。

研究テーマはなるべく他の研究者が取り上げそうにないものを選んでいるそうで、「矢印」に関することをテーマにしたのもそういう理由からのようだ。私も、いま研究している文学者は、世間でさほど多く論じられておらず、かつ資料が豊富に存在し、またその資料にアクセスしやすい点を重視し、現役作家の中から選んだ。漱石や太宰や村上春樹などになるとすでにかなり広く、多くの人が論じているので、そういうのは避けようと思った。

大学に所属していないので、研究成果を大学の紀要に投稿するのは難しいらしい。しかし伊藤氏は、投稿論文にこだわる必要はなく、ネットも含めれば公表の場は無数にあると言っている。物書きも、どんどんネットで発信して良いのではないかと思う。

学術研究は自らの経験を超えて考察することが求められ、人文系では正しい研究方法論を身につけるには優れた書物や論文を多く読み、自らも学術的な文章を書くことで練習する以外に道はない、とのこと。言われてみれば私も、伝記とか批評とかをとにかくたくさん読み、論述方法を学んでいる。

面白かったのは、最近は企業を定年退職して大学院に入る人が多いが、見当違いなディスカッション方法が身についてしまっている人がいる、というくだり。企業に勤めた経験がある人の中には、嘘でもいいから何らかの結論を導こうとする人がいるそうだ。そういうのは、私も会社勤めや同人活動の経験の中で、そういう人はたしかにいるとかんじている。しかし、大学院のことはよく分からないが、恐らく大学の中にだって嘘つきはいるだろう。

 誰でも四〇歳を過ぎれば個々の仕事や家庭の事情は様々だろう。仕事の条件(転勤の頻度、勤務時間、収入額など)、家庭および本人の事情は複雑に絡み合って、個人の環境を構成しているものである。

そういう中でも何か利用できることを見つけ、第一歩を踏み出すことが大切だと、伊藤氏は言う。