杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

本のなかを歩く

3月14日の朝日新聞1面に載っている鷲田清一「折々のことば」は、三島由紀夫の言葉を紹介している。

昔の人は本のなかをじっくり自分の足で歩いたのです。

現代人は小説を「味わう」ことをせず、主題と筋の展開ばかりを追うようになった、と鷲田は三島の考えを紹介しつつ述べている。

「『文章読本』から」と書いているので、それなら持ってるぞと思い、同書(中公文庫、1995年改版初版)に当たってみた。

この本は学生時代の2003年に読んだもので、本文のところどころにマーカーが引いてある。鷲田が引用した箇所にも引いてあった。「文章を味わう習慣」というタイトルが付けられていて、今のマス・コミの時代は文字や文章が昔のように大切にされなくなった、と三島は述べ、以下のように続く。

 このような時代に次第に文章を味わう習慣が少なくなるのは当りまえと言えましょう。しかし昔の人は小説を味わうと言えば、まず文章を味わったのであります。今日、小説の読者は、ちょうど自動車で郊外を散歩するようなもので、目的地が大切なのであって、まわりの景色や道端の草花やちょっとした小川の橋の上で釣をしている子どもの姿も、そういうものは目もとめずに、目をとめたにしても一瞬のうちに見過してしまいます。しかし昔の人は本のなかをじっくり自分の足で歩いたのです。

鷲田のコラムもこれに同調する内容なのだが、描写だけがやたら盛んでストーリー展開が乏しい作品が持てはやされることがあるし、引用された三島の文章はあくまでその時代の状況に対して書かれたものだと受け取るべきじゃないかと思った。『文章読本』は1959年1月に「婦人公論」の別冊付録として世に出た。