杉本純のブログ

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お恥ずかしき人

こんな親(子)を持って恥ずかしい、というのは聞いたことがあるが、こんな師匠を持って恥ずかしい、というのはあまり聞かない。師匠が恥ずかしい失敗や奇行をしても、弟子はそれを美化してしまうのかも知れない。師を恥ずかしがれば、じゃあそんな師に教わった自分はどうなんだ?となってしまうからか。

私にはかつて何人かの師がいたが、その中に、もうぜんぜん慕っていないけれども関係は続いている、という人がいる。私はその師にずいぶん嫌な目に遭わされ、こんな人はもう敬えないと思い、こちらから連絡するのを止めた。しかし、その師は自分から私に連絡してきて、あまつさえ師匠のツラをして私の仕事にあれこれ注文をつけてくるのである。

ところが師の方は、どうやら私に「ありがたい言葉」でも授けているつもりらしく、自分の知識や思想を(自分語りも含めて)滔々と語り、それでどうやら悦に入っているようなのである。話す内容は長年にわたってほとんど同じで、私の生き方や仕事に対する感想とか注文だ。

その人が私の師だったのは紛れもない事実だし、悪い人でないのも明らか、私の悪口を言ってくるのでもないので、声を荒げて追い返すことはできず、適当に相手をしている。しかし、当人が私につける注文ほどの業績を残していないのは歴然たる事実で、もはや私には滑稽な人に見えてしまっている。こんな師を持って恥ずかしい…と思うのである。師弟関係というのはかく厄介なものだ。