杉本純のブログ

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創作雑記14 すべて途中で未完成

小説のことなどよく分かってもいないのにストーリーを練りに練って、文章をやたら彫琢し、また飽かず推敲を繰り返して、挙げ句いつまで経っても作品ができあがらず、不満が募ってついに抛棄してしまったこと…たくさんある。錬磨も彫琢も推敲も「完璧」を期しての行為だが、けっきょく完璧なんてどこまで追求してもいつまてやり続けてもどだい無理なんである。

また最近わかったのは、小説は何らかの区切りがついたところで「終わる」わけだけれども、小説の世界にも登場人物の人生にも「終わり」はないことだ。まぁもちろん人物の人生は死ねば終わるわけで、『レ・ミゼラブル』はジャン・バルジャンが死んで終わるのだが、一方で主人公が死んでなお続く小説はあるし、死んだら強制終了させられるものでもなく、だから主人公の死=小説の終わりというわけではないのである。

つまり、小説はすべて、いちおう「終わり」になって文章は終了するけれどもそれは「途中」であり、また「未完成」なんじゃないか。作家が小説の世界を創造したら、その世界の歴史は小説が終わったって続いているわけだし、登場人物の人生も小説が終わった後にまだ続いていくのだ。

考えてみるとバルザックの小説は主人公もしくは主要人物の死で終わるものが多いように思う。だが『ウジェニー・グランデ』の末尾に至ってもウジェニーは死んでいないし、『ゴリオ爺さん』の最後でゴリオは死ぬがもう一人の主人公であるラスティニャックの人生は終わっていない。

つまりすべて途中なのだ。未完成なのだ。小説はどれだけ長くてもあくまで小説の世界の断片に過ぎず、登場人物の人生を切り取って描くに過ぎない。小説の世界と人物の人生は必ず小説より大きい。小さいことはあり得ない。

これが分かった時から、私は小説に向かうのがけっこう楽になった。小説に世界と人物の人生をぜんぶ包含させる必要は、ないんだ。