杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

緊張と弛緩

学生時代にバルザック関連か何かの本を読んで、藝術家にとって仕事は遊びで休暇こそ義務だ、とか何とか書いてあってひどく感銘を受けたのを覚えている。藝術志望の学生らしく、世の中を巧く言い当てた(ように見える)逆説的言説に魅了されたのである。

今ではそういう考えはぜんぜんないが、リラックスするのは寝る時くらいにして、平日週末関係なくおおむねいつでも緊張していたい、神経を張り詰めさせていたい、という思いはある。平板な一日、ただ過ぎていく時間をどうにか意味のあるものにしたいと思っている。

だから、暇だから遊ぼう、などと人から言われると困ってしまう。暇なのはけっこうだが、私を暇つぶしの相手にしないでもらいたいし、私は他人を使って暇つぶしをしようとも思っていない。何か面白そうなことがあるかも知れないと思って付き合ってみることは多いが、実際に会うとやはり特に用事があるわけでもなく、昼間にも関わらず酒を飲むとか、予定もないのにどこかに出掛けようとか、まぁだいたいそういう展開になる。決まってぐだぐだになり、週末の貴重な時間を浪費してしまったと思って後悔する。

こういう関係は文字通り「小人交甘如醴」で、ずるずるベタベタ意味もなくくっつき続けて、やがて互いに感情剥き出しになって破綻する。両者とも、初めはそんな展開になるなどとは決して思っていなかったはずだが、他人を自分の感情の捌け口にしてしまうとそうなってしまうのである。

閑人の方に悪気があるはずはなく、悪意があって遊びに誘うのでも断じてない。だから良い悪いではなく、自分とは緊張と弛緩に対する意識が違い、両者を切り替えるタイミングも異なるんだと思うしかない。そして、いい人ぶって相手に合わせたりせず、自分の意志や価値観についてはっきり相手に伝えることが大切だと思う。