杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

能書きより作品

Twitterを見ていると、政治的な意見とか藝術観や作品評ばかりを飽きもせずつらつらと書き連ねている人びとがいて、あぁこの人暇なんだなぁとつねづね思う。

あるいは、メールなどで近況を交換するだけならいいのに、そこにも政治的意見や藝術に関する考えを縷々述べる人がいて、暇人だなぁと思う。

そういう輩はだいたい、自分の政治観や藝術観の優れていることを伝えたいようで、それは言うなれば能書きなのである。なにも能書きを一切口にするなとは言わないが、まとまった書き物や作品よりも能書きの方が多いのはどうかと思う。Twitter界隈には、思いを述べる人と事実を述べる人とがいて、だいたいはこの二種類に分けられると私は勝手に思っている。能書きばかり達者な人というのはほぼこの前者に該当しており、あれがしたい、これが欲しい、などと願望ばかり言っていて、そうでなければ悪口や批判、あとは能書きを垂れるばかりで、肝心の書き物や作品は出てこない。

かく言う私も、このブログでは調べ物の成果よりエッセイの方を多く書いているので、言うなれば能書きばかりなのである。能書きより作品である。