たしか宮崎駿が「(自分は)映画の奴隷」とか「構想を立ててる時が一番面白い」とか言っていたが、まさにそうだと思う。
旅程を組むのが楽しいように、小説も映画もどんな話にしようかという構想を立てている時間はとても楽しい。言わば世界をスケッチするようなもので、こんなことを盛り込みたいとか、こんな風に描けたら、といったことを思う存分やることができる。つまり、計画を立てる楽しさ、図面を引く楽しさだ。
計画ができたら、いざ実行となる。ここからは、設計図に従ってレンガとか柱とかを一つずつ建てていく、言わば現場作業となるので、楽ではない。精神的肉体労働とでも言おうか、計画に沿って粛々と作業を続けるしかない、言わば「奴隷」状態になる。現場作業にもそれなりの面白さがあるので、自ら積極的に奴隷労働をして楽しむわけだ。
一方、図面通りに収まらない、寸法が違う、図面を引き直せ、といった怒りと苛立ちの声が現場から届き、設計者は微調整を、時には大幅な設計変更をしなくてはならなくなる。映画は集団で取り組むが、小説は編集者の助言をもらいつつも基本的に一人で全部をやらなくてはならないので、苦情を出すのも受けるのも全て自分である。これができないなら、物書きは続かないと思う。
現在、小説の新作に取り組んでいるが、構想段階なので実に楽しい。あれを書きたい、これを書きたい、といったアイデアがどんどん出てくる。いくらか私小説的でもあるので、現実離れした突飛なアイデアなどは最初から採用しないのだが、それでも楽しい。構想がある程度固まったら書き始めなくてはならず(そう。必ず書き始めなくてはならない!)、そこから先は奴隷のように毎日原稿に向かうのだ。