杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

デイナ・ライオンの言葉

「ミステリー作家が押さえておくべき最も重要な点」として、デイナ・ライオンがこんなことを述べている。長いが引用する。

自分の行き先を知っておかなければいけないのだ。ニューヨークにいるあなたが、ある特定の日までにサンフランシスコに行くことになっているとする。シカゴ回りでもニューオリンズ回りでもいい。グランド・キャニオンに寄ってもニューメキシコをのんびり旅しても、ラスベガスで一山張っても構わない。ただし、サンフランシスコにいついつまでに着いていかければいけないということは自分でよく承知していなければならない。ミステリーも同じこと。行き先が分かっていれば、いくら寄り道してもいい。が、ニューヨークを出ることだけしか分からず、どっちへ向かっているかを知らなければ、金も職もなく空き腹をかかえて、ミネソタカンザスに転げ込むことになりかねない。
『イッツ・マイ・オウン・フューネラル』の時のわたしは行き先を知らなかったから、ひどい目にあった。あれが本になったのはひとえに神様と出版社様のおかげである。なにしろ、泥棒と思ったらこれが刑事で私立探偵が実は泥棒で、素人探偵は謎ときに失敗するし(これは当然。わたしも解けなかったのだから)ヒロインはやぼったいときている。ひょっとしたら、常套手段に反発して全部蹴ちらしてやりたかっただけのことなのかもしれない。確かに蹴ちらしてはいる。ちなみにこの本は、こんな書き方をしたにもかかわらず(こんな書き方のおかげで、ではない)結構売れた。でも、これは人には勧められない。 

 アメリカ探偵作家クラブ著、ローレンス・トリート編『ミステリーの書き方』(大出健訳、講談社文庫、1998年)のライオンが執筆した第7章「状況設定からプロットづくりへ」の一部だが、まさにこれ。

生意気ながら、私がこのブログの「創作雑記5」で書きたかったのは上記引用の前半のようなことで、その箇所を読んだ時は我が意を得たりといったところだった。

考えてみれば『レ・ミゼラブル』などはある意味で寄り道ばかりしている小説で、ストーリーの背景となる事柄をかなりの分量を割いて説明している。いいかげん嫌気が差してきたところでひょいっとストーリーに戻るので、また読み進められるのだが、ある意味であの寄り道があったからこそ『レ・ミゼラブル』は深く感動するのだとも考えられる。

だから寄り道はいくらしてもいいし、寄り道こそがある意味で小説の醍醐味と言えなくもない。しかし、寄り道ばかりでけっきょくどこへ辿り着きたいのか忘れてしまった、あるいは周囲に流されて知らないところに辿り着いてしまった、などというのは良くないと思う。

引用後半部分は、作品がよく出来ているかどうかは売れ行きには関係ない、ということを物語るエピソードだと思う。

ところでデイナ・ライオンという人、この本に出ているのだからミステリー作家であることは間違いないだろうが、私はぜんぜん知らない。