杉本純のブログ

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創作雑記7 真実か面白さか

「真善美」という言葉があるが、「真」は客観的事実、「美」は面白さだと思う。では「善」は何かというと、宗教的あるいは政治的な正しさ、だろうか。

人と雑談していて感じるのは、多くの人は「真」になど興味がなく、話の内容が「美」である場合に興味を示す。私は「真」を語ろうとする傾向があるので、私の話はたいてい他人からすると興味が感じられない、つまり面白くないものになる。要するに自然主義なんだ。

話が上手くて笑いを取る人の話を真面目に聞くと、それは多分、まったく「真」ではなくて、話者が巧みに尾鰭を付けてアレンジしているのだろうと思うことが少なくない。話の登場人物は巧く特徴を捉えられてキャラ化され、話の中で有頂天になったりドジを踏んだりする。その滑稽な様子が聞いている側は面白く、抱腹絶倒する。

そういう話は笑い話なのだろうが、もちろんキャラの付け方によって美談になったり武勇伝になったり「深イイ話」になったりする。

私はまず「真」であることを重視してしまうので、地味で味気なく、つまり面白くなくなってしまう。やはり人に聞かせる話というのは、まず「美」であることが大事だろう。その上で、いかに「真」であるかが作家の技量や洞察の問われるところなのではないか。

真善美の三元論?で考えると、『レ・ミゼラブル』は「美」と「善」を両立したと言えるか。面白い私小説は「美」と「真」の両立ということになる。『痴人の愛』などは、かなり「美」に傾いてはいるが、その一つと言えるかも知れない。