杉本純のブログ

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アンコンシャス・バイアス

漱石の『こころ』の主題が「無意識の偽善(アンコンシャス・ヒポクリシー)」だというのは、以前どこかで読んで知っていたが、企業人事の世界では「アンコンシャス・バイアス」という言葉があるようだ。最近知った。

「無意識の偏見」ないし「思い込み」、という意味で、男だから運転が上手い、若いから発想が新鮮、女性だから出しゃばらない方が賢明、といった言説が代表的な具体例らしいが、こういう先入観や固定観念コンプライアンスダイバーシティで問題になることがあるそうだ。アンコンシャス・バイアスって、要するに「常識」のことじゃないかな、と私は思う。

しかし上記の例はそもそもよく分からない。女でも運転が上手いのもいるし、若くても発想がないのもたくさんいる。女性が出しゃばらない方がいい、というのは「?」。男性は理系で女性は文系、というアンコンシャス・バイアスも存在するらしいが、これも「?」。男は繊弱で臆病だ、というアンコンシャス・バイアスは恐らくないが、もしあるとしたらその通りだと思う。けれどももちろん男にも神経が太くて勇敢な人間はいる。

つまり個別に細かく見ていけば問題にはならないはずだが、大きな企業の人事部だと、人間を属性項目の文言だけ見て判断せざるを得ない場面が多いのだろうか。だとしたら性別や年齢を元に判断するのも仕方ないではないかと思う。だから人事の仕事においては、個人の意識を変えるよう訴えつつ、そういうバイアスが起こらないような仕組みも同時に考えていくことが必要なんじゃないかな。

世の中の「常識」は多くの人間の「無意識」の産物だろう。あらゆることを意識するのは不可能だから、無意識の判断や行動が問題化したら、その都度対処していくしかないような気がする。

周囲から「常識」の尺度で測られ、惨めで辛い思いをしている者は多いと思う。そういう人は、その常識と私は違う、と、時には声を大きくして言って意識させるしかないのではないか。なにせ相手は無意識なのだから。

私は上に「男は繊弱で臆病だ」というのは恐らくアンコンシャス・バイアスではないと述べた。たぶん、世の中ではまだ「男は神経が太くて勇敢」の方がアンコンシャス・バイアスなんじゃないかと思う。