杉本純のブログ

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「海燕」最終号

福武書店(現ベネッセコーポレーション)の「海燕」は1996年11月号をもって休刊となった。最終号には中村真一郎田中小実昌などの創作のほか、第15回「海燕」新人文学賞の発表などが載っている。

新人賞はシロツグトヨシ「ゲーマーズ・ナイト」と塙仁礼子「揺籃日誌」が同時受賞で、選考委員は黒井千次日野啓三立松和平佐伯一麦島田雅彦の五人。

佐伯一麦は「正念場」という選後評を書いている。その冒頭には、新人賞の応募数と「海燕」の購読者数がほぼ同じで、応募者のほとんどが雑誌を読まず「公募ガイド」などから応募してくる、という話を主催者から聞かされ憮然としたことが紹介されている。

第15回「海燕」新人文学賞の応募数は1785篇なので、当時の「海燕」購読者数は2000に到達していなかっただろう。ちなみにwikipediaの「海燕」を参照すると、「最末期には実売部数よりも新人賞の応募者数のほうが多いと揶揄される状態」とある。

佐伯の呆れと失望はその後も続き、新人賞受賞二作もまったく評価せず「両作ともコミック誌のレベルに負けている」と言っている。

ちなみにシロツグと塙の「受賞のことば」を読むと、シロツグは「どこかで聞いたような小ネタを、どこかで聞いたような言葉で、適当に語ったものです」と自作を紹介し、塙は「拙作を書いた最大の動機は『ダイエット』である」などと書き、ダイエットとは文体のダイエットだと述べている。どうも二人とも自分は本気じゃないという、どこか斜に構えている感じで、これを読んだ後に腰を据えて本篇を読もうという気は私は起きなかった。

さてこの最終号には佐伯による「『渡良瀬』について」がある。「海燕」で連載してきた『渡良瀬』が、全七章の構想のうち現在は第三章を半分過ぎたところだと書き、「海燕」が終わるのに合わせて作品も終わらせるのは有益ではないとし、単行本化を目指して書き継いでいく意志を表明している。

『渡良瀬』はその後、大幅な加筆修正を経て2013年に岩波書店から単行本化されるが、連載中の主人公の名は斎木鮮だったのに対し、修正後は南條拓という名に変わっている。

海燕」編集部からの休刊の挨拶は冒頭に1ページで簡潔に述べられている。時代の変化に対応するため雑誌を休刊にして新たなメディア開発をしていく、といったことが書かれている。

ちなみに、誌名「海燕」はゴーリキー散文詩に由来している、とある。調べてみると、ゴーリキーには「海燕の歌」という詩があり(1901年)、プロレタリア革命の到来を予言した詩であるそうな。