杉本純のブログ

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ルーティンワークが生み出すもの

日経新聞5月18日朝刊の読書欄に、経営学者の楠木建「半歩遅れの読書術」が載っている。「破滅型作家が放つ私小説 ルーティンに透ける凄み」というタイトルに惹かれて読んだ。

ここでいう「破滅型作家」とは西村賢太。楠木氏は、読書を通じて「人と人の世の中、とりわけその基底にある論理を知りたい」そうで、読む本はノンフィクションに偏ると言っている。そして小説は、読んでもあまり満足感を覚えないようなのだが、私小説は例外だと言い、現役作家では西村賢太が大好物だと書いている。私は楠木氏のことはよく知らないのだが、ビジネスを専門とする人が私小説西村賢太を読むんだな、と驚いた。

しかし、この記事は西村が好きだ、ということ以外ほとんど何も伝わってこず、氏が冒頭に書いている人と世の中の「基底にある論理」について、西村の私小説からは何を知ることができるのかは書かれていない。ここでいう「基底にある論理」とは、恐らく、作家が世界をどう見ているか、つまり哲学のことを言っているのではないかと思うが。

さて、とはいえこの記事にはなるほどと思わせられる部分がある。西村の『一私小説書きの日乗』には西村自身の判で押したようなルーティンな毎日が綴られていて、そこにプロとしての凄みが透けて見える、と言う。「コンスタントに質の高いアウトプットを継続して出す」のが、プロがアマチュアと違うところだと。

たしかに、物書きに限らず創造的な仕事をしている人の生活は、一種のルーティンワークのようなところがあると思う。一つの仕事が終わったら次へと移り、インプットとアウトプットを継続する。そこに、仕事生活の快楽がある。