杉本純のブログ

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「はじめに噺(コント)ありき」

「ありき」は、最近「〜を前提とする」といった意味で使用されているが、本来は「〜があった」というという意味だ。「〜を前提とする」を正しいとして受け入れる向きもあるようだが、私は誤用だと思っている。

さて、「はじめに噺(コント)ありき」はロラン・ブルヌフ、レアル・ウエレ共著『小説の世界』(駿河台出版社、1993年)にある見出しで、そこには「秘義獲得(イニシアシオン)は、人間である以上もともと存在するもので、コントはその鍵となる状況を提示する」と述べられている。

私はこの考え方が好きで、というか、小説を創る上でかなりしっくりくる。小説そのものが、ある一つの小さな話からストーリーが展開していくという意味で「はじめに噺(コント)」がある、と言える。

それだけでなく、作家が小説を考え・創る上でも、何らかの意思に基づいた行動、環境との相克と帰結、すなわち噺(コント)との邂逅がまずあるのではないかと思う。

複数の小説家が、小説を創る時はまず主題を思い浮かべる、と言う。主題をごく短い一文で書いてみて、それが面白いかどうかを考慮して、面白いと感じたら次の創作ステップに進む、と言う。つまり、テーマから創り始める、ということだろう。

テーマから考え、次いでエピソードを揃えていくとしたら、それは演繹的だ。しかし私は、はじめに噺(コント)ありき、で考えていくのが良いと思っていて、つまり、小さなエピソードがいくつかあって、それらがやがて大きなテーマを表現するに至るのが自然なのではないか。それは演繹ではなく帰納だ。

とはいえ、エピソードというのは探し始めれば無限に出てくるもので、その中から「これは面白いぞ」と思えるのもを抽出するには、やはり頭の中にテーマの概念か想念らしきものが漂っているからに違いない。作家の中に「気になっていること」があるから「ピンとくる」のだ。