杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

電縁

会ったこともなく、声を聞いたこともない人がいる。

TwitterInstagramで相互フォローして、コメントを交わしたことがある人のことだ。その人たちは、SNSがなければ決して知り合えなかった人たちで、そういう縁を私は電脳空間の縁、すなわち「電縁」と呼んでいる。

TwitterInstagramも、このブログを拡散するために利用していたSNSで(まあTwitterの方をブログより早く始めたわけではあったが)、とはいえつぶやきや写真を投稿するには割と考えなくてはならない面もあり、一時はこれらをやめてしまおうと思ったこともある。

しかし、やめなかった。すでに双方のSNSで電縁が発生していたからだ。それらの縁は、断ち切ろうと思えば難なく断ち切れるものではあるが、私にとってはかつてない縁の形でもあったので(かつてmixiなどで同様の縁を結んだ人もいたにはいた)、今も継続している。

私自身の実感から言うと、地縁、血縁、社縁のうち、出身地の縁はほぼ完全に消えてしまったと言える。地元の縁は、微々たるものだがないわけではない。血縁と社縁は濃厚に残っている。そして、そこにわずかではあるが電縁が加わっている。

まぁこんなのは今のようにSNSが普及する前からあったことだ。私自身、思い返せば二十年くらい前にネット掲示板で言葉を交わした人がいた。思えばあの頃から電縁はあったんだなぁと思う。