昨日は、少年や青年のような立場の人には「やるかやらないか」の判断基準が重要、と書いたが、今日はもう一歩突っ込んでみよう。
やる・やらない、という二つの行為には歴然たる差がある。だからこそ、少年や青年にとってはことさら重要なのだと言える。
例えば、昨日も例に挙げた海外放浪とか起業。これらは若い頃にやるのとやらないのとで、その後の人生に大きな影響が出るのではないかと思う。未知の世界とか、自分の可能性とかいうものにチャレンジした経験があるのとないのとでは、当人の青春の燃焼度が大きく違ってくると思うのだ。
私自身、大学を卒業した後に映画学校に入り直したのは、それをやらなければ気が済まなかったからで、学校に行かずに就職などしていたら後悔と自己嫌悪に苛まれてどうなっていたか分からない。まぁ、学校に行ったはいいが映画の道には挫折して無力感に苛まれ、一時期は酒ばかり飲んでいたのではあったが。。
とはいえ、私は反省する部分はあっても後悔などはしていない。やる・やらないの瀬戸際で「やる」を選択したことは、我ながらよくやったとも思っている。
私は、「やる」人間は愚かかも知れないが偉大だと思っていて、「やらない」人間は賢いかも知れないが卑小だと思っている。実行するには思う・願うよりも大きなエネルギーを要するからで、実行に伴うリスクも背負わなくてはならないからだ。昨日の記事で考えると、志々雄に復讐しようとした栄次は、愚かかも知れないが偉大だったと思うのだ。
世の中には、自分は「やらない」人間なのに、「やる」人間に対し偉そうに意見や批評を投げつける無礼な奴がいる。「やらない」人間は、「やる」人間よりも卑小なんだから、心配して支援したり応援したりするのは構わないが、見下して偉そうなことを言うべきではないだろう。
私の周りには、そういう偉そうな「やらない」人間が何人もいた。ほんとサイテーな奴らだったな。