出来る出来ないかの問題じゃねェ!! やるかやらないかだ‼
和月伸宏先生の「るろうに剣心」に出てくる少年・栄次のセリフです。細かい文脈は忘れてしまいましたが、志々雄真実に支配された村の子である栄次が志々雄に復讐しようとして、無理だから止めろなどと他人から言われたのに対して言い放った言葉と記憶しています。
私はこの言葉が好きで、行動の基準を「できる・できない」ではなく「やる・やらない」にするのは大切だと思います。栄次は、無理だろうがなんだろうが、「やる」ことに重きを置いているわけで、上記セリフは、リターンが見込めずとも実行をする、という男らしいロマンに満ちた言葉だと思います(まぁ復讐に関する言葉なのですが…)。
さて、私は「るろうに剣心」にはたしか高校生の頃に没頭しましたが、漫画に限らず、心に残った言葉はその後も何度も胸の中で唱えてみて、いかなる場合にもその言葉は金言たり得る力があるのかどうかを考える癖があります。そして栄次の上記セリフも、何度も繰り返し唱えてみてその強さを確かめてみました。
その結果、あることに気づきました。「やるかやらないか」は、守るものがない立場、すなわち少年や青年にとっては重要であるものの、守るものがある立場である大人、特に親である人は、そういう基準で決めるのは賢明ではなく、「できるかできないか」で考えるのが妥当だということです。
例えば海外を放浪するとか、借金をしてでもやってみたいビジネスを始めるとか。これは学生とか未婚の二十代とかだったら、失敗するか成功するかじゃなく、「やるかやらないか」で青春の後味が違ってくるでしょう。一方で社会人として生きていて結婚して子供もいるなどとなると失敗なんてできなくなるので、「できるかできないか」を重視しなくてはなりません。放浪とか起業とかはロマンでしかなく、むしろやらない方が後も安心なわけです。
だから、子供である栄次にとっては、志々雄に復讐するかどうか、やるかやらないかが重要なのです。あれが大人の村人だったら、復讐なんてせずまずは生き延びて機会をうかがう、といった戦略を取ることになるでしょう。大人の世界は、戦うことそのものでなく、勝つことが大切なのです。
しかし。では大人は「やるかやらないか」で判断してはならないのかというと、そうとは言い切れません。大人だって、「できるかできないか」じゃなく「やるかやらないか」で考えるべき時はあると思います。
相対的に「できるかできないか」で判断するべき場面が増える、というだけで、長年の夢とか、逃げるわけにはいかない人生や仕事における大勝負、意地でもならなきゃ気が済まないこと…。そういうことは、人間だったらやはりあるだろうと思います。それは相当のリスクがあることも十分に理解した上で、「やるかやらないか」を基準にして判断するべきではないかと思います。