杉本純のブログ

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『渡良瀬』評の違和感

文學界」に連載されている木村衣有子「BOOKSのんべえ」、5月号の第十回「昭和の終わり、茶碗酒」は佐伯一麦の『渡良瀬』を取り上げている。

しかしどうも違和感があった。主人公のことを「南條拓さん」などと書くのは、主人公への親しみの表れと受け止めればまだ不思議ではないのだが、昭和の終わりを舞台にした作品を東日本大震災につなげるところがやや強引に感じられたのだ。

木村は、主人公が勤める工場では「自家用発電機自動始動盤」を主に製造していたと書き、それが原発の冷却装置などの必需品であると作中にあるのを引用した上で、「昭和の最後と、平成に深く癒えにくい傷を残した東日本大震災がここでつながっていることに、はっとする」と述べている。

しかし佐伯が『渡良瀬』を書くにあたり福島第一原発を意識していたとは思えないし、地震による事故を危惧していたわけもないし予測していたはずもない(ただし、『渡良瀬』は「海燕」1996年9月号まで連載されて中断され、大幅な加筆修正を経て震災後の2013年に単行本化されたのだが)。

たしかに佐伯が実際に、また私小説の主人公も従事した電気工や配電盤づくりは、日本のあらゆる産業、生活を陰で支える仕事であるのは事実だと思う。けれどもそれが福島原発東日本大震災にもつながっていると考えるのは考え過ぎではないか。

それに、昭和の最後と平成の震災がつながっているとしても、それが一体なんなのだろうという気もするのだ。ちなみに佐伯は震災については別の書き物で直接言及している。