杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

人間は物語を求める

元号「令和」が始まった。

テレビでは、全国各地のお祝いイベントと、その中で陽気に浮かれ騒ぐ人びとの様子を放送していた。私は、べつに自分の生活になんら影響がない出来事なので何とも思わなかったが、こういうイベントはある種の高揚感をもたらし経済に好影響を与えるんだ、と思った。

それと同時に、人間というのは「物語」を求める生き物なんだろう、と感じた。令和が始まったからといって給料が増えるわけでも休暇が増えるわけでもなく、税負担が軽くなるわけでもない。政治の制度は何一つ変わらないはずだが、人びとがどうしてこうもはしゃぐのかというと、「旧時代の幕引き」と「新時代の幕開け」という、ある種のストーリーの終わり・始まりを感じるからではないか。ただしそれは、自らの力で実現した時代でもないし、個々人の内部で令和元年から何らかの文脈が発生するわけでもないだろう。単に「物語ぽい」感覚を味わっているだけ、に過ぎない気がする。

ただ天皇が代わっただけで実質的には「新しい時代」が始まったわけではないのに浮かれ騒いでいる人を見て、定期的に元号を変えるイベントを催しては…と半ば馬鹿にする感じに言った人がいたが、恐らくそういう問題ではないだろう。天皇が老いて、もう体力の限界だから交代したいと言い、その時代を感慨深く振り返られながら退位し、新しい天皇が即位する…といった物語めいた経緯が必要だと思う。そこに高揚感が生じるのではないか。

それにしても、元号は日本のソフトパワーだと言った人もいたし、これだけ経済効果があるのを見ると、不便でしょうがない元号=和暦も存在価値があるのかなぁと思う。