杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

事実は小説よりも奇なり

東京大学立花隆ゼミと立花隆の『二十歳の君へ』(文藝春秋、2011年)は、東大立花ゼミの学生らによる著名人・職業人へのインタビューと、立花によるレクチャー、そしてゼミ生たちの思いがまとめられた、全三章からなる本である。立花ゼミと「二十歳」と言えば、新潮社の『二十歳のころ』がある。本書は、その本を下敷きとしているらしい。

立花の特別講義「二十歳、頭をひねる」は、気が向いた時に読みたいところをぱらぱら読んでいるのだが、どこも面白さに溢れている。特に印象に残ったのは「事実は小説よりも奇なり」という見出しが付いたところで、立花が二十歳の頃に文学サークルに入っていた頃のことが書かれている。

立花はあらゆる文学作品を読みまくり、サークルの連中と議論し合っていたが、日本の現代小説は大江健三郎止まりで村上春樹は読まなかったそうだ。そして社会人になってからは小説をくだらないと思うようになり、読まなくなったと言う。

 僕は大学を卒業して文藝春秋という出版社に入り『週刊文春』の編集部に配属されました。そしてそこでの仕事を通じて生のどろどろした現実を、あらゆる角度から見ることになったわけです。社会的な事件から政治・経済の世界、そういう目の前に展開している現実の面白さ、奇怪さに比べたら、小説の世界なんて全部芝居の書き割り程度の薄っぺらな作り物にしか思えませんでした。

こんな風に言っているのだが、しばしば壮大なフィクションの世界を作り上げて現実以上の多重構造世界を見せてくれる作家がいるとして、ドストエフスキーを例に挙げている。

へえ~そうかと私は思った。そして、ではバルザックユゴーやデュマなんかはどうなんだろうと思った。立花は続けて、十九世紀にはそういう作家が多くいたと言っているので、その中にはパリの王様たちも入っているかも知れない。

続けて立花は、文学の世界は映画に完全に負けていると思うと言っている。頷かされはしたが、これではもう、文学の地位は落ちっぱなしという感じがするではないか。

けれども私は、今の時代でもやりようによっては「人間喜劇」的な小説世界を作り上げることは不可能ではないと思っている。