杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「一瞬間」の思い出

こないだ谷崎潤一郎の全集を図書館で借り、長篇「肉塊」を拾い読みしたのだが、「一瞬間」という語がいくつか出てきて、ああ谷崎もこの語を使っていたんだなぁと思った。

この語はたしか漱石も『こころ』で使っていたと記憶する。恐らく、それ以外にも多くの作家が色んなところで使ったのではないかと推察するが、私はこの語に一つ思い出があるのである。

かつて、川崎市の同人誌に所属し小説を発表していた頃、私は作中にこの語を使用した。すると同人の一人が、「どうして『一瞬の間』と書かずに、こんな気取った書き方をするのか」と見下した言い方で批判してきたのである。その人はその時、「一瞬間という語は、リービ英雄の小説で見たことがあるが…」などと言い、用例は他にはないかのように言っていたのを私は記憶している。

その同人は詩を書く人で、「一語の間違いが命取りになるからね」などと、それこそ気取った言い方をして、自分が一語一語に極めて敏感であるのを周りに誇らしげに話す、ちょっとキザで嫌な奴だった。それでいて、エッセイでは「閑話休題」の意味を間違えたり、原発問題に言及する文章では「高速増殖炉」と「プルサーマル」を混同していたりと、作品には毎回必ず語の間違いや脱字、誤植の類いがあるバカな奴でもあり、私としてはすでに怒りを通り越して笑いの対象にしていた。

で、その人は私の「一瞬間」への批判をしてきたのだった。私は、「一瞬間」だろうが「一瞬の間」だろうがさしたる変わりはないし、ストーリーにはぜんぜん関係ないことなので、その批判にはあまり耳も貸さなかったのだが、指摘されたことだけは記憶に残っていた。

後年、『こころ』に「一瞬間」があるのを知り、さらに最近「肉塊」にも出てくるのを見るに及んで、なんともはやあの同人はろくに本を読まずに適当なことを言っていたんだなと改めて思った。

ああいう奴が私などを相手に尊大に構えていられたのも、同人誌という、ある種の閉ざされた空間に身を置いていたからだろうと思う。私は十年ほど所属して作品を発表していたが、やめて本当に良かった。

もしこの記事の読者に、同人誌に参加しようか考えている人がいたら、妙に玄人ぶるナルシシスト風の人にはひとまず気をつけることをおすすめする。