杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

書いて前進するしかない。

最近、「下手の考え休むに似たり」という言葉を知った。碁や将棋の下手な人が長時間考えているのは休んでいるのと同じ、といったことから、良い知恵を出せない人が考え込んでも効果はない、といった意味だ。

これは小説を書くことにも通じるのではないか。ストーリーを展開させるアイデアが出ず悶々とすることはあるだろうが、たいていは考え込んでもたぶんアイデアなど出てこない。考えて出てくるようなアイデアならトイレか風呂にでも入っている時にフッと降りてきそうな気がする。私もある地点から進めず、考えに考えて結局出てこなかったことが何度もあった。

考え込むよりも、どんな方向へでも書き進めてみる方が大事であるように感じる。小説を書き進めるのは、穴を掘り進める行為に似ているのではないか。図面があって、ある程度の方向はひとまず分かっている。しかしどちらに行けば金鉱に当たるかなど細かい正確なことは分からないので、とにかくあとは掘って掘って掘りまくって進めるしかないように思う。

また、どうやらこちらの方向へ進むのは間違いなようだと気づくことがある。これだと矛盾する、あまりに退屈になる、人物をきちんと描けていない、などなど。そういう場合も、やっぱり考え込むより再び書くことだ。全体を見渡せば、だいたいどこらへんに欠陥があるかはわりとすぐに割り出せるように思う。そういうことは私もたびたび経験した。あるいは、そもそもこの話そのものがどう考えても面白くない、という絶望的な結論に至ることもある。穴掘りに例えるなら、もうその工事そのものを抛棄するしかない状態だが、それも私は体験したことがある。

絶望的な作品でも、もしかしたら考えに考えることで救い出せて傑作に生まれ変わらせられるかも知れない。しかしそんなのは稀で、基本的にはやはり考えるよりも書くことが大事だと思う。