杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

入門書について

小澤卓也、田中聡、水野博子編著『教養のための現代史入門』(ミネルヴァ書房、2015年)を読んでいる。

歴史無教養を自認し、なおかつ文系の教養というのは歴史と地理が基礎になるだろうと思っているので、こういう入門書からきちんと読もうと考えてのこと。なんら計画はなく、気が済むまで入門書を読み漁り基礎教養を分厚くしたいと考えている。

立花隆『「知」のソフトウェア』(講談社現代新書1984年)の第5章「入門書から専門書まで」には、「入門書をつづけて何冊か読むことが、その世界に入っていくための最良のトレーニングになる」と書いてある。そして「入門書を一冊読み終わったら、ただちに中級書に進むような乱暴なことをせずに、別の入門書を手に取るべきである。なるべく一冊目とはちがった角度から書かれた入門書がよい」とある。

自分が映画を学んでいた時のことを思い返すと、たしかに立花さんの言う通りだと思う。学生時、私は映画やシナリオについての理論書の類いを読んだが、同じようなレベルのものを何冊も読んだ。著者も、日本人と外国人との隔てなくけっこう読んだと記憶している。シナリオの書き方、映画の理解の仕方など、数冊読んでその中で自分に合ったやり方や考え方を選び取っていった。

ちなみに『「知」のソフトウェア』の同じ章には図書館についても書かれている。立花さんは未知の領域について知識を得たいと思ったら、まず神保町の書店街に足を向ける、と書いてある。図書館の本は線を引いたり書き込んだりすることができないため、図書館にしかない本を求めて行く以外は行かないと。

この点は、私は懐事情も加わってやり方が違う。興味のある本が出てきたらたいていは図書館で借りて読んでみて、良いもの・必要なものと判断した場合は改めて買うが、大半は一読して終わる。あるいは、調べ物をしていて、その本の特定の数ページのみが必要な場合もあり、そういう時は該当部分をコピーして終わる。興味が湧いたものを片っ端から買っていては金も部屋のスペースも余裕がなくなってしまう。それに、神保町まで足を運ぶのは時間が勿体ない(もっとも立花さんは文京区に住んでいるはずなので神保町には近く、この本は1984年に出ているのでAmazonなどもない頃)。