杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

安全策は二重三重に。

先日、ある後輩ライターの仕事を見る機会があった。後輩がインタビューする様子を見、書き上がった原稿も読んだ。その原稿は、わりあい読みやすくまとめようと奮闘した跡が見られたが、全体としては駄目だった。最も良くなかったのが、ミスリーディングが多く事実を間違えて記していたこと、執筆後に対象者のチェックをせずに発表してしまったことだろう。この二点は、他の良い部分を帳消しにしてしまうほど致命的な落ち度だったと私は思っている。

そうした落ち度の原因は、インタビューするに当たって録音をしなかったことだ。このブログにも以前書いたが、私は「臆病ライター」であり、安全策は二重三重に講じる必要があると考えているため、インタビュー時には必ず録音する。

今回の後輩の仕事の落ち度は半分以上、録音しておけばなかっただろう。メモが完全であることなどあり得ないし、聞き落としをすることも人間である以上は起こり得る。だからこそ、安全策として録音をするべきだ。

恐らく、「録音などをしたらメモが疎かになる」「真のライターはレコーダーになど頼らない」などの理由によって録音しなかったのだろうが、私には理解しがたい。ライターとして成長したいのであれば、不測の事態に対処するためのさまざまな「安全策」を覚えるべきである。

例えば、優れたドライバーとは安全運転ができる人であり、ドライビングテクニックが巧みでも安全を損なう人は優秀とは言えないと私は思っているが、ライターも同様、インタビュー時の相手の発言を正確に記録するために、あらゆる策を講じるべきだろう。レコーダーを使うのはその策の一つだ。

また、後輩の原稿で、学校名の表記や映画のタイトル、書名にも間違いがあって残念だった。これらは取材後にでも調べれば分かることであり、ライターの仕事の中ではかなり初歩の作業である。ライターは「調べて書く」仕事をする人だということを、忘れてはならない。

そして、執筆後の対象者チェックを欠かしたのは論外。その後輩が書いた記事は新聞記事ではないし、週刊誌のスクープ記事でもない。だから、記事の精度を上げたいのなら遠慮なく対象者にチェックしてもらえばいいのに、それをしない。それで事実の間違いもあったのだから、書かれた側は不快に感じただろう。後輩ライターとしては、間違いを指摘されることなく記事を世に出してしまい、自分の仕事を検証する機会がなかった。その意味で、後輩は仕事を通した成長の機会を逃したと言える。

まったく誰も得をしていない。実に質の悪い仕事だった。