杉本純のブログ

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修行と遍歴

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(山崎章甫訳、岩波文庫、2000年)、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』(山崎章甫訳、岩波文庫、2002年)は、読んだがほとんど内容を覚えていない。ビルドゥングスロマンというのはどういう背景を持っているのかよくわからないが、まぁ…面白くなかったのだろう。

ただし、この大長篇小説でひときわ印象に残っているセリフがある。

おめでとう、ヴィルヘルム君。あなたの修行時代は終わったのです。自然がそれを告げたのです

『修行時代』の下巻、神父(アベ)がヴィルヘルムに語る言葉である。ヴィルヘルムは修行を終え、遍歴の時代に入っていくことになる。

修行から遍歴に移っていくのは、どんな人間にも起こることのように思う。そもそも「修行」という行為そのものが、それを終えたら「遍歴」に移っていくのを前提としていると言える。

ワナビは作家になるべく猛勉強するが、それは作家になった後に広く遍歴するための力を付けている状態だ。作家になって遍歴するために修行するのであって、それをしないなら修行などやる意味がない。また、修行三昧はめきめき力が付いて楽しいだろうが、いつまで経っても遍歴を始めようとしないのは本末顛倒で愚かだと言える。

もちろん遍歴が始まればきれいさっぱり修行をしなくなるというのもおかしなもので、作家は作家になってからも勉強をするべきだし、場合によっては大きな転向のためにふたたび猛勉強することもあるかも知れない。いずれにせよ、修行は遍歴するためにするものであるのは変わらないと思う。

修行から遍歴への移行は、多くの人が大学から社会人になる時期にひとまず強制的に行うだろう。しかしその時期が本人にとって移行のベストタイミングであるとは限らず、多くの人は違うのではないか。私は明らかに違っており、社会人になるのが納得できず映画学校に入ったクチで、さらに就職後もシコシコ勉強と創作を重ね、しかし報われずこじらせてしまった。