杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

薪の割り方

アニー・ディラードの『本を書く』(パピルス、1996年)は、松岡正剛の「千夜千冊」で知った(717夜)。

本書は比喩表現と抽象的な書き方が多いが、文章術、作家としての心得指南の本としてはかなり優れており、文章の「極意」のようなものが述べられていると私は思っている。抽象的な書き方が多いのは、その「極意」を伝えるにはそういう書き方しかないからだろうと思われる。

これを私は時どき読み返すのだが、このたびぱらぱらページを捲っていて、改めて面白いと感じた箇所があった。そこには初読時に私が引いた赤線があった。

まき割り台をめがけて斧を降り下ろすのだ。まきをめがけてはだめだ。まきを通過し、まきの下の台をめがけるのだ。

言い得て妙! まことに至言である。小説でもライターとしての原稿でも、言葉が出てこず詰まってしまうことがしばしばあるが、そういう時はたいてい、何を述べたいのかという「内容」よりも、文章表現の「言葉」の方に意識が向いてしまっていることが多い。これはアニー式に言うと、薪をめがけて斧を振っているのだろう。

そうではなく、述べるべき・述べたい「話」の方に意識を向けると、言葉は自然に出てくると思う。「話」は取りも直さず「内容」、つまり「まきの下の台」であり、これをきちんと頭で捕らえることが先決であると考える。そうして筆を進めれば(斧を振り下ろせば)、言葉はするすると出てくる(薪はきちんと割れる)。